演奏を聞いてくれた小学生の皆さんへ

 

小学校に演奏会に伺うと、よくこんな質問を頂きます。

 

「馬頭琴は本当に馬の体で作ってあるんですか?」

 

この質問を受けるのは嬉しくもあり、心苦しくもあります。子供達は「スーホの白い馬」を読み、純粋な気持ちで私の演奏会を聞いてくれます。

 

「馬の身体を使った楽器ってどんなだろう?」

 

「どんな音がするんだろう?」

 

そう思っていると出てくるのは、どう見ても木製の楽器。骨を繋ぎ合わせて作った楽器を想像していた子供達から見れば、「なんか違う」と感じるだろうことは、想像に難くありません。その結果、冒頭の質問をしたくなります。

 

私はこういった質問に対して、嘘はつきたくありません。なので本当のことを話します。その時の質問者は、がっかりしたような、驚いたような、複雑な表情を見せます。

演奏会の質問の時間は多くて10分。一つの質問に対してそれ程長い時間は取れません。この質問は大事な話なので比較的時間をとってお話しすることが多いのですが、それでもいつも言葉足らずで、ちゃんと伝わっただろうかと不安になります。

 

このホームページを作ったとき、最初に思いついたコンテンツがこのページでした。この文章を、「スーホの白い馬」の学習が終わる時に目にしてもらえればと思います。

 

馬頭琴というがっきには、馬の体をつかったところはありません。がっきのげんとゆみにつかっている毛が馬のしっぽの毛だということだけです。これまで馬の体をつかったがっきがあった、という話もわたしは聞いたことがありません。がっきの前のいたは、むかしはどうぶつのかわをつかっていました。でもそれはヤギのかわで、馬のかわではありません。馬のかわはあつすぎてがっきにできませんでした。ほねをがっきにつかうと、ビリビリとした音がしてしまいます。

 

つまり、「スーホの白い馬」はほんとうのお話ではないことがわかります。でも、がっかりしないでください。モンゴルの人たちは、うそをつくために、あのものがたりを作ったのではありません。

 

モンゴルの人たちは音楽が大すきです。何か良いことがあれば歌を歌います。かなしいことがあっても歌を歌います。ごはんを食べて歌を歌い、馬頭琴をひき、おどってまた歌います。そしてモンゴルの人たちは馬が大すきです。かぞくのつぎにたいせつなのは馬です。

 

馬頭琴というがっきは、そんなモンゴルの人たちのせいかつそのものなんです。じぶんたちといっしょに生きてきる馬のかわりだと思うときもあるし、これまでに死んでいった馬たちが、じぶんのもっているがっきの中にいると思うときもあるでしょう。だから「スーホの白い馬」というお話は、ほんとうのお話ではないけれど、モンゴルにすんでいる人、一人ひとりにとって、ほんとうと思いたいお話なのです。

 

そんなモンゴルのせいかつのことを、モンゴル人の子どもたちに分かってほしい、そんなきもちから生まれたのがあのお話です。みなさんもあのお話を読んで、モンゴルの人たちのきもちが、モンゴルの人たちがだいじにしているものがなんとなくわかったと思います。そのことをわすれないでください。モンゴルの人、一人ひとりにとって、それぞれの「白い馬」がいるのです。